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2024.10.29 学生

【30周年特別企画】 長岡造形大生×卒業生! 建築・環境デザイン学科編

日本設計 上海
建築設計 一級建築士 長谷川孝文さん
建築・環境デザイン学科卒業(14期生/2011年卒業)
長岡造形大学では山下秀之教授の研究室で学び、町おこしやインターンなど学外の活動にも積極的に参加。卒業後、NIHON SEKKEI SHANGHAIに就職。中国上海で高層ビルの設計や都市計画に携わる。 インタビュアー 橋本千穂(建築・環境デザイン学科4年)

撮影 角谷唄奈(視覚デザイン学科3年)
さまざまなデザインの業界で活躍する卒業生を、学生自ら取材する創立30周年スペシャル企画。今回は、NIHON SEKKEI SHANGHAIの長谷川孝文さん(建築・環境デザイン学科卒業)に、学生時代の思い出や海外での仕事についてお聞きしました。(取材日:2024/8/23)

設計意図を読み解きたくなる校舎

橋本 私は建築・環境デザイン学科の4年生です。現在私が行っている卒業設計では、街中にある放置された線路跡地を対象敷地に選び、その場が新たな交流拠点となるような設計に取り組んでいます。

長谷川さんは大学でどんなことを学んでいましたか?

長谷川 僕は山下秀之先生の研究室に所属していました。3年生の後半以降は、「環境と建築がどのようにバランスをとりながら存在するべきか」ということと、建築の造形について特に意識して勉強していました。建築以外も幅広く活動していて、1年生の頃から都市計画の先生と一緒に弥彦村の町おこしイベントを企画したり、他学科の学生と協力してポスターや映像を作ったりしていました。

学生時代を振り返る長谷川さん(右)とインタビュアーの橋本さん
(取材場所は建築・環境デザインアトリエ)

橋本 長岡造形大学を選んでよかったと思うのはどんなことですか?

長谷川 僕は実家から通えたので、食事とか生活の基盤がしっかりあったのはよかったと思います。あとは、1年生の後半から設計の授業があったこと。早い段階から思考をアウトプットする実践的な訓練を重ねた経験は、今仕事をする上でも役立っています。

橋本 確かに、「長岡造形大学の学生はCGや造形デザインの技術が優れている」と先生から言ってもらうことがよくあります。長谷川さんはなぜ建築の仕事を選んだのですか?

長谷川 もともと父が建築の仕事をしていたんです。私も小さい頃から測量のメジャーを押さえたり、青図を折りたたんだりとか、ちょっとした手伝いをするうちに自然と興味を持つようになりました。

「自分の部屋をリノベーションして好きな空間をつくるのも好きでした」と長谷川さん

橋本 目標がブレることはありませんでしたか?

長谷川 最初はインテリアとか住宅の方に進むことも考えました。でも大学で学び、東京や上海の建築を見るうちに規模の大きい建物に惹かれるようになりました。

橋本 大学で好きな場所はありましたか?

長谷川 僕は朝の校舎が開く時間から、夜遅くに閉まるまでずっと大学にいることが多かったんです。一日を通して見ていると、校舎の陰影の美しさがよく分かります。特に印象深いのはレストラン。お昼時になると室内側が少し暗くて、外のランドスケープの鮮やかさが際立つんです。それも計算された設計だったのだろうと思います。

陰影の美しさが印象に残っているというレストランへ

橋本 私も課題で図面を書いていると、校舎で参考になるところがたくさんあります。

長谷川 そうでしょう。あちこちに読み解ける設計意図があって、すごく興味深い建築ですよね。この校舎は日本設計が手掛けたもので、僕が大学にいた時はちょうど第3アトリエ棟の施工が始まるタイミングでした。当時の設計担当者が学生や先生に工事の説明をしに大学に来てくれて、コンクリートの型枠を木槌で叩く作業もさせてもらいました。その時説明してくれた篠﨑淳さんは今、日本設計で社長をしています。

建設中の第4アトリエ棟(取材日:2024年8月23日/校舎は9月19日に完成)を特別に見学。ここも日本設計によるデザインです

新アトリエ棟にも周辺環境を取り込む工夫がされています

この敷地にどんな建物があるべきか

橋本 今のお仕事について聞かせてください。

長谷川 上海で建築設計と都市計画の仕事をしています。2023年6月に竣工した広州国際航運ビルは、初めて設計責任者としてプロジェクトに携わりました。中国広州の気候風土や周辺環境、人々の生活様式を尊重しながら、街に対して開かれた建築を目指して創りました。中国国内や海外の設計賞に応募し、いくつかの賞を受賞することができました。

現在取り組んでいるのは、上海浦東国際空港のそばにできる鉄道駅と駅前の複合開発プロジェクト。中国の国家としても重視しているプロジェクトで、学生時代は想像もしなかったスケール感の中で、チームの一員として働いています。

長谷川さんがプロジェクトに携わった上海の広州国際航運ビル ©ACF

橋本 広州国際航運ビルの画像や資料を拝見しました。ビルを構成する3つのブロックが少しずつずれたようなデザインは、どうやって生まれたのですか?

長谷川 単体のオフィスタワーではなく、都市景観やまちとのつながりとして「この敷地にどういう形状の建物があったらみんなが幸せか」を考えました。隣地の建物と高さを合わせ、統一されたスカイラインを演出するとともに、周囲の景観を一望できるステップ状の屋外テラスを形成しています。低層部では、まちに対して開かれた緑のステップガーデンにより、オフィスワーカーや近隣施設を訪れる人々が集い、交流と憩いの拠点となることを目指しました。敷地を取り巻くさまざまな条件を読み解き、都市のにぎわいを建築で取り込んでいくための形状として、あのオフィスタワーのデザインに行き着きました。「都市と建築がどのようにあるべきか」を最優先に考えるのは、僕ら日本設計の特徴であり強みですね。

橋本 長谷川さんが大学で学び、仕事の場で生きていると思うのはどんなことですか?

長谷川 先ほども触れたように、アウトプットのスピードは大学での経験が役立っています。レンダリングソフトなども日々進化していますが、新しいものを抵抗なく試したり取り入れたりできるのも、長岡造形大学での学び方がベースにあるのかなと思います。

大学での思考とアウトプットの訓練が今の仕事に直結していると感じるそう

橋本 日本設計上海に入ったきっかけは、どんなことでしたか?

長谷川 日本設計というか、上海に行ったきっかけは大学2年の時でした。先生から「上海の設計事務所が住み込みで働ける人を探している」という話があり、海外への好奇心もあったので迷わず手を挙げました。新潟以外の場所で暮らすのも初めてで、目に映る何もかもが新鮮でした。毎朝街を歩き回って、街並みや建物、そこで行われている人々の活動を観察しました。

そこは上海の小さな設計事務所(A-I-SHA Architect)で、卒業後もそのままお世話になっていました。そんな時たまたま日本設計と一緒に仕事をする機会をいただいて、大規模プロジェクトの面白さを体感したんです。母校を作った会社という親しみもあり、その後、入社に至りました。

橋本 日本に戻らず中国で長く働いているのはなぜですか?

長谷川 同じタイミングで北京で就職した大学の先輩と「お互い10年は頑張ろう」と話していたんです。その先輩は先に帰国しちゃいましたけど(笑)、気づけばあっという間に10年以上経っていましたね。

現場検査の様子

社内での技術交流会

橋本 日本と海外で建築設計の仕事のやり方などに違いはありますか?

長谷川 日本と海外では、設計士の関わり方が少し違います。日本では1人の設計者あるいは設計チームが最初から最後まで担当しますが、中国ではデザインアーキテクトという立場で、主にプロジェクト前半の基本設計を担当します。それ以降は、現地の設計会社が主体となって実施設計を担当し、デザイン監修という立場で竣工まで関わることが多いです。最初から最後まで一貫して建築に携わり続けられる、日本の設計環境は幸せだなと思います。

今ある時間を全力で楽しんで!

橋本 海外で働くにはどんな人が向いていますか?

長谷川 受け身じゃなく、自分から前に出て行ける人。日本では会社が新人を育ててくれる文化がありますが、海外では自分で努力したり積極的にコミュニケーションを取ったりして道を切り拓いていくことが重要です。

橋本 長谷川さんは最初から海外勤務を視野に入れていたんですか?

長谷川 全然そんなことないです。たまたま来たチャンスに手を挙げていたら、いつの間にかここまで来ていたというか(笑)。長岡造形大学は今年で創立30周年ということですが、僕、30年の歴史の中で誰よりも大学の外に出て活動した学生だったんじゃないかと思うんです。夏休みや春休みはほとんど建築事務所でアルバイトをしていました。当時は隈研吾さんがデザインをしたアオーレ長岡(長岡市役所)が建設中で、僕はその現場事務所でアルバイトをしていたため、模型やCGづくりに携わりました。

大学時代の長谷川さん。友人との富士登山の様子

他にも、雑誌で見た北海道の住宅作家の元で1か月間インターンをしたり、研究施設の建物をつくる現場事務所で半年間アルバイトをしたり。実際に建築をフィールドに奮闘する人たちの仕事ぶりや振る舞いを肌で感じられたのは、今振り返っても貴重な経験でした。

橋本 建築の就職先というと、少人数のアトリエ事務所もあれば大規模な組織もありますよね。将来どうするか迷っていて…。

インタビュアーの橋本さんは大学院を目指して勉強中

長谷川 少人数のアトリエは厳しいイメージもあるかもしれませんが、仕事を最初から最後まで見ることができたり、ボスとの距離が近いので考え方を直接聞けたりしたところが僕はよかったです。一方で、大きな組織は仕事の規模感も大きいし、とにかくいろんな人に出会えるのが魅力。どこに行っても前向きにやればいい建築はできると思います!

橋本 ありがとうございます。最後に、未来の学生も含めた、私たちNID生へのメッセージをお願いします。

長谷川 あくまで僕の経験ですが、大学生はたくさん時間があると思います。いろんな挑戦ができる時間とチャンスがあって、僕は外に出て勉強とか海外旅行にも行きました。だから今ある時間を貴重なものだと思って、どういう形であれ全力で楽しんでほしいです。

「社会人になるとまとまった時間を取るのが難しくなります。その前にぜひいろんな経験をしてください!」

それと、長岡造形大学は都会の美大や芸大とちょっと違うというか、独自の色のある大学だと思います。その色を消さずに、自分の色、大学の色をデザインに取り入れていくことは、社会に出た時に一つの強みになると思います。東京で学ぶ学生たちのトレンドなどは気にせず、長岡造形大色の強いエッジの効いた人でいてください。

橋本 今日は貴重なお話をありがとうございました!

INFORMATION

2人が見学をした新校舎の完成見学会を11/1(金)、11/2(土)に開催します。
どなたでも見学いただけますので、ぜひご来場ください。

新校舎(第4アトリエ棟)完成見学

・11/1(金) 14:00–20:00
・11/2(土) 10:00–20:00

PROFILE

卒業生/
NIHON SEKKEI SHANGHAI
建築設計 一級建築士
長谷川 孝文
(建築・環境デザイン学科 山下秀之研究室 2011年卒業)

学生/
建築・環境デザイン学科
佐藤淳哉研究室 4年
橋本 千穂